サッカー日記ブログ版

TVたまにスタジアムでのサッカー観戦記

リベロ

映画「ミスティック・リバー」(2003年米・クリント・イーストウッド監督)面白ったですね。話が重くて暗いので面白いという言い方は違うかもしれないけど良い映画だと思いました。人にはいろいろな人生があって、思いも寄らない事に振り回されて、それがオレじゃなくてお前だったらなんて思ってしまうこともある。ラストの一連のシーンは、そんな映画の全体を現しているんだろうなと思って納得したと同時に関心しました。運の悪い奴がいて、恨んで生きる奴もいて、正義を貫こうとしている奴もいる。信じる事が出来なくて自分を追い込んでいる人もいたいりして、でもそういう人たちを誰が正しくて誰が間違っている何ていうことはできない。ラストはそういうメッセージをこめたシーンだったのだろうな。クリント・イーストウッド作品の中では「許されざる者」同様にこれから何度も見てしまいそうな予感がします。

 

それに引き換え片寄りっぱなしなのがソチ五輪の放送。年々日本一辺倒の放送になっていてちょっと気持ち悪い。NHKなんて堂々と「全力応援」だしね。

その中で、ネットのニュースを見てほっとしたのが、浅田選手がキムヨナを称えるコメント。「キム・ヨナ選手の存在が励みになった」みたいな。でもそれをTVで放送していたのかな。あんまりソチ関連のTVを見てなかったからかもしれないけど記憶にない。

今回、浅田真央ちゃんがメダルを取れなくても感動与えてくれたのは良かったのかもね。メダルなんてそんなに関係ないでしょ。こうなると。日本もメダルメダルってうるさいのがやめばいいと思うけど。 

サッカーでも古くは西ドイツのワールドカップの決勝は今ではどっちかというとヨハン・クライフのオランダが語られる事が多いだろうし、ブラジルの黄金のカルテットだって、プラティニのときのフランスシャンパンサッカーだって優勝してないからね。

 

それはそうと、今週のサッカーダイジェストを読んでいたら、各チームの開幕予想スタメンというのがでていて、浦和レッズ那須選手がリベロなっていたのでちょっと驚いてしまった。そりゃないでしょと思って他のチームを見てみると、どうやらこの雑誌は3バックの真ん中はすべてリベロにしている様子。そうなのか、各国リーグを観戦していてもリベロを使っている実況は近頃聞いた事ないから、独自の解釈でそうしているのかな。

ただ、今週末のGGRを見ていたら、ここでもレッズの予想スタメンで那須選手を何の躊躇もなくリベロと紹介していた。いやいやどいうこと。メディアがそういう使い方するとみんなそう思うよね、3バックの真ん中はリベロだって。いいのかな。それとも正しくはあのポジションはリベロなんでしょうか?ぼくの認識からすると、やっぱりリベロといえばベッケバウワーだし、イメージとしてはDFもするけど、自由を与えられていて攻撃にも参加できる選手だと思っていた。固定したポジションの選手にリベロは使わないイメージだった。もちろん、好機に攻撃に参加するのはどのチームのどの選手にも許されているけど、それは自由を与えられているとは言えない。那須選手も自由を与えられている選手とは言えないじゃない。むしろ、お前こそは守りの中心にいてくれよっていう感じなんだけど。実際、槙野、森脇は攻撃の自由を与えられているはずだから。

他のチームはどうかわからないけど、浦和の場合、那須選手をリベロというのはどうかと思う。しかも、レッズを担当するメディアの人が使うのはまずいと思うんだけどね。

ただ、仮に那須選手にも攻撃の自由を与えられているとしたら、ゼロバックということになりかねないよね?ということはかなり斬新な戦術フィロソフィーてことか?ゼロトップとか偽CFとかは近年よく聞く戦術になってきたけど、ゼロバックとなると世界初かもな。センターバックが上がってもそこをカバーする中盤の選手がいれば問題ないしね。もしかして、これからの世界のトレンドになるかもね。なんて、なるわけないだろ。