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サッカー日記ブログ版

TVたまにスタジアムでのサッカー観戦記

ダイヤモンドサッカー

『「ダイヤモンドサッカー」の時代』(JDFA)という本を読みました。古いサッカーファンなら必ず観ていた三菱ダイヤモンドサッカーのことは勿論、その時代のサッカーをいろんな人が様々に語っている楽しい本でした。この本の中でもみんなが口を揃えて言っているように、1960年代から80年代といえば本場のサッカーに触れるにはダイヤモンドサッカーしかなかった。サッカー専門誌もそんなに出てないし、ネットもないですからね。サッカー情報といえばこれ一本と言っても過言ではなかった。しかも、ビデオも無かった訳だから、とにかくリアルタイムで見て記憶するしかない時代だったんですね。それに本場のサッカーの免疫がない状態なのでわくわく感も違っていたのでしょう。だからこそ、強烈に印象に残っている事も数々あり、この本を読んで今でも頭から離れない選手、試合、プレーが蘇ってきました。

 

その蘇ってきた記憶の中でふたりの選手をネットで調べてみました。

 そのひとりは1982年のワールドカップで活躍したポーランドのボニエク。

この大会で活躍したボニエクはユベントスに移籍。当時、その情報を知っていたのか、この日のダイヤモンドサッカーの放送を観て知ったのかは忘れましたが、とにかくユーベでのボニエクを観たいという期待感いっぱいでキックオフを待っていました。しかし、なんとボニエクはベンチじゃないですか。衝撃でしたね。日本のプロ野球で王や長島がベンチってことないでしょう。スター選手は全試合フルに出るものだと思っていたのに。こんな凄い選手でもポジションが被ったりするとベンチってこともあるんだという事をそこではじめて知ったわけです。

で、ネットでその頃つまり1984-85シーズンのユベントスのメンバーを調べてみると、FWにパオロ・ロッシ、さらにプラティニとボニエク、中盤にボニーニとW杯スペイン大会の決勝の3点目を決めたタルデリ(泣きながら走り回っていたので強烈に印象に残ってます)、左サイドバックにアントニオ・カブリーニ、センターにシレアとかなり豪華なメンバー構成だったというのが確認できました。いや凄かったですねこの年のユベントスは。とは言っても、ダイヤモンドサッカーで観たこの試合の内容はまったく覚えてないのが情けないんですけど。とにかく、ボニエクがベンチだったのをいまだに覚えてるってことはそれなりに衝撃だったし、自分なりにサッカーに対する新たな認識になったこの日の放送だったとうことなんでしょう。

 

 それからもうひとりは、ディ・バルトロメイ。これもイタリアなんだけど、今度はローマの選手。こっちも調べてみるといろいろわかりました。(ネットって便利)けどその前になんでこの選手を覚えているのかっていうと、ダイヤモンドサッカーで金子アナウンサーが「アゴスティーノ・デ・バルトロメイ」とフルネームでけっこう連呼していたのがすごく耳に残ったんですね。もしかして、名前の響きが喋っていて妙に気持ちよかったのかななんて想像するけど、何となくわかる様な気がします。

もちろん、アナウンサーが連呼してたんだから活躍してたのでしょう。「この選手って全部やるんだな」というのがこの日の試合を見たぼくの印象でした。ゴールキックからフリーキックまですべてバルトロメイが蹴り。ボジションはリベロだったらしいけど、けっこう攻撃にも参加してボールがどんどん回ってくる。ワンマンチームじゃないかと思うくらいの勢いだったんですね。

でも、これがネットで調べてみて驚いたんですけど、ワンマンチームなんてあり得ないメンバー構成。ブルーノ・コンティ(W杯スペイン大会で大活躍)がいて、アンチェロッティがいて、ファルカンがいたんですから。ファルカンは勿論ブラジルの黄金のカルテットのファルカンです。確か、このころのファルカンは『ローマの鷹』って呼ばれていると岡野俊一郎氏が解説していたように記憶しています。これだけの選手が揃っていながらワンマンチームに見せてしまうってどれだけ実力者だったんだって思っちゃう。イタリア代表でのキャップ数はゼロ(招集はあったみたい)。世界的にどれくらい知名度のあった選手かはわかりませんが、現在、ローマにはディ・バルトロメイの名前が通りに残っているということなので、少なくともローマでは伝説的な選手なのかもしれません。

ただその後のディ・バルトロメイはというと1994年39歳のとき拳銃で自殺をしていました。 事情は調べればわかるかもしれませんが、とりあえず今のところは、その事実だけを受け止めるだけにしておきます。