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サッカー日記ブログ版

TVたまにスタジアムでのサッカー観戦記

フットボールの新世紀 その1

昨日、浦和は鹿島に勝ちましたね。

Jリーグタイムを見る限り中盤のプレスが効いて素晴らしい試合だったみたい(試合内容をまったく把握していないのでわかりまんが)。ちょっと現時点では敵なしな感じがしました(くどいようだけどJリーグタイムしか見ていません)。このままのバランスでいければ本物なんだろうけど、どうでしょうかね。今期のプレミアを観てみても、「こりゃ強いなというチーム(アーセナル=シーズン途中から年明けくらい)やようやくピースが嵌まって本格化してきたな(マンU=シーズン終盤、但し最後にまた?)、やっぱり実力あるな(マンC=まだら模様)と様々あったけど、結局シーズン通して強かったのはチェルシーだけだったという感じでした。そのチェルシーでさえ正月にスパーズに大敗した試合を含めて後半はけっこうギリギリの時期も長かった。考えてみると、苦境の時期に踏ん張れるチームが強いチームということなんでしょう。浦和がこれからもバランスのいいプレスをかけ続けられるとは思えないので、そうなったときに結果を残せるのかどうなのか?見ものです。

 

話は違いますが、思うところがあって以前に読んだことのある『フットボールの新世紀』(今福龍太著)を読み返してみました。なんか、こういうの忘れてたなという感覚が蘇って、久しぶりに新鮮な気もちになりました。

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この本の第二章「PK戦という欺瞞」という章でPK戦について次の様な意味のことが書かれていました。近代スポーツは「競争主義的な勝敗という決着の制度を無理矢理導入する事で成立した」。サッカーにおけるPK戦も同じで「勝敗を決するためだけ」のものだから、まったく興奮する事ができないと。

たしかに同感。ぼくもPK戦にはあまり興奮する事ができないし、PK戦突入に決定した瞬間ははなんとも言えないがっかりした気持ちになるものです。もちろん、決着をつけなければならないという事情はわかるんだけど。

 

さらに著者がサッカーを観戦する根拠は「勝敗ではなく、そこで動きまわる丸いボールと人間の肉体と想像力の三者の美しくも陶酔的な連携だけである」と言い切っていました。それで思い出したのが前節初先発したチェルシーの若手ロフタス=チーク。監督やメディアにも高評価だったけど、ぼくは、それより、いい選手という枠を超えてプレーをしている姿勢のしなやかな美しさに一瞬で魅かれてしまいました。実力はまだまだだと思いますが、もしかしたら勝敗度外視で観てみたい選手に成長する可能性があるのかもと。サッカーを見る楽しみって勝敗だけじゃなく、クライフやジダンのような選手が繰り出す魅了するようなプレーを見続けたいというのが一番かも知れない。ロフタス=チークには、順調に魅力的な選手に育ってほしいものです。