サッカー日記ブログ版

TVたまにスタジアムでのサッカー観戦記

フォーメーション、昔の記憶

HDに映画やドキュメンタリーやサッカー関連番組がたまり放題で早く見なきゃと焦ってはいるんだけど、毎日のようにたまる一方でいっこうに消化する事ができなくて困ってます。もちろん、それは毎週放送されるサッカー中継を優先的に見ているからで、だったら映画とか録画しなきゃいいじゃねーかと言われそうですが、映画は映画で見てみると面白いし(昨日見た『宇宙人ポール』は傑作でした)。長年見たいと思っていた『おしん』の再放送は外す事はできないし。NHKのドラマ『メイド・イン・ジャパン』だって…。

 

そんなわけでJスポーツで放送しているFOOTも見る事ができなまま、2週間分溜まってしまったので、今日まとめて見ようと思って見始めたんだけど、先週の火曜日のFOOTがなかなか興味深い話題で、消さなくて良かったとほっとしているところです。

 

 

火曜日は英国人サッカージャーナリストのベン・メイブリーが担当。先週はFAカップでリーグ戦がなかった関係で、イギリスサッカーのシステムの変遷の話でした。簡単に言うと1880年代〜1940年代は大まかにピラミッド型の2-3-5のシステム。それから、ダブルMシステムの3-4-3に変化していったとのこと。1940年以前、今で言うところのセンターバックフルバックと呼ばれ、中盤はハーフと呼んでいたと話してました。(そうそう昔は日本でもそう言ってた)今でもサイドバックとは言わず日本で言うサイドバックフルバックと呼ぶらしい。つまり、長友も内田もフルバックということです。(なんかかっこいい)

ちなみに、なぜボランチというかというとブラジルのチームにいた守備的なハーフの選手がアルゼンチン人でボランテという名前だったかららしい。舵取りという意味と認識していたんだけど意外な話でした。まあ、一説には、ということだと思うけど。現在のイギリスではボランチとは言わず、言うとすればマケレレ・ポジションと言う事もあるとか。もちろんRマドリーやチェルシーで活躍したあのマケレレです。国が違うと呼び方も変わるものですね。

 

そんな話を聞いていて思い出したんだけど、自分がサッカー少年団でサッカーをしてた頃の1970年くらいのシステムは、だいたいの少年団が2-3-5だった記憶があります。ぼくの所属していた浦和の仲町サッカー少年団は唯一(たぶん)2-4-4だったので、進歩的だな、なんて思っていたんだけど、考えてみると、あのころの小学校のサッカーってイギリスの1940年以前のサッカーをしてたわけだな。1970年代だと、おそらく世界的には4-3-3で1974年のW杯ではクライフのオランダがトータルフットボールでサッカーのシステムというより考え方を一気に変えて加速させた時期だから、小学生のサッカーとはいえ、日本はだいぶ遅れていたんだろうなと想像がつきます。なんと言ってもTVでサッカー番組と言えば伝説のダイヤモンドサッカーだけだし、雑誌はイレブンとサッカーマガジンしかなかったからな。なんて懐かしい記憶が蘇ってしまったけど、あくまで記憶なので間違っていたらごめん。